バリ島でのスリ・タンジュン

詩歌復興プロジェクト

『Wukir/Adri節の謡い方』

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7-1. 動機と目的

本プロジェクトは、日本学術振興会の科学研究費助成事業の基盤研究C「リビング・ヘリテージのための無形文化アーカイブ:バリ島の天女物語をめぐる身体伝承」(代表:野澤暁子、助成期間: 2019年4月~2024年3月、助成番号:19K00249)の一環で実施された。

その動機となったのは、スリ・タンジュン物語を中心とする文献研究の過程で、プリヨノを含む20世紀初頭の文献学者たちがロンタル本来の口承技法を捨象している側面に気づいたことにある。彼らはロンタルのバリ文字やジャワ文字の原文を印刷本にローマ字転写し、複製可能な記録資料として残した点で、文化遺産の保存に大きく貢献した。しかし当時は録音や映像撮影の技術がまだ一般的でなかったため、ヒンドゥー・ジャワ時代に由来する芸能の視聴覚資料は少数しか残されていない。

そこで本プロジェクトでは、文献学が残した資料と現代のデジタル技術を活用し、スリ・タンジュン物語の口承技法の復活に挑戦した。その成果を視聴覚資料としてまとめ、ヒンドゥー・ジャワ文化遺産の身体伝承の価値を学術的に発信するとともに、オンラインで広く共有することで現地の文化伝承を促進することが目的である。

 

7-2. 実施方法

本プロジェクトは実質的に2023年4月から2024年3月末までの一年間、現地ファシリテーターのマデ・アグス・ティスヌ氏(私立学園スコラ・バリ・キタ校長)とワヤン・アディ・ワルダナ氏ほか同学園スタッフ、協力者カデック・ウィディアナ氏(インドネシア国立芸術大学デンパサール校講師)、協力者コマン・スカール・マルハエニ氏(同左)とともに行われた。

私たちが目指したのは、バリ島で発見されたロンタルがもつ口承美学を、現地の伝承者の身体知によって復活することである。そこで現地チームは地元のネットワークを通じ、儀礼歌キドゥンの伝承者たちに声かけを行った。その結果、スリ・タンジュン詩歌の韻律形式である「ウキル/アドリ節」(6-3項を参照)を歌うことができる、10名の伝承者からの協力合意を得ることができた。

第一の作業として、ヒンドゥー・ジャワ時代のテクストに精通したカデック・ウィディアナ氏が、7章から構成される長大なスリ・タンジュンの原文から、歌い手の人数に即した10節を全体の物語内容が分かるように選定をした。そして歌い手に担当箇所のテクストを配布した後、各自が指定した日時にスタッフが自宅を訪れ、ウキル/アドリ節での朗誦実践をスマートフォンで撮影した(写真7-1, 7-2, 7-3, 7-4)


7-1   撮影風景1

 

 

7-2   撮影風景2

 

 

7-3   伝承者Wayan Pinda氏によるキドゥン朗誦

 

 

7-4   撮影風景3

 

 


[制作協力者]

プロジェクトファシリテーター:Mr. I Made Agus Tisnu, S. Pd. H

制作チーム: Sekolah Bali Q_ta

学術協力者:Mr. I Kadek Widnyana, S. Si., M. Si (ISI Denpasar)

Ms. Ni Komang Sekar Marhaeni, SSP., M. Si (ISI Denpasar)

映像記録協力(キドゥン伝承者): Ms. Gusti Ayu Kusumawati, S. Pd., M. Pd, Ms. Ida Ayu Nyoman Swarsini, Mr. I Made Arsana, Ms. Ni Ketut Suartini, Mr. Jero Wayan Mugleng, Mr. I Ketut Raman, Ms. Ni Made Sari, Mr. I Nyoman Karya, Ms. Ni Made Tariani, and Ms. Ni Wayan Candri.

 

 

7-3. 成果作品の内容と発信媒体

現地チームのアイディアで、撮影した10名の歌い手によるスリ・タンジュン朗誦は、スコラ・バリ・キタ学園の児童たちによるこの物語の演劇(台詞なしの場面演技)の動画と組み合わせて編集された。

導入部分はアグス氏、カデック氏、コマン氏の3人による対談から始まる(写真7-5)。アグス氏を中心に3人は生き生きとした会話の中で「バリ島で発見されたスリ・タンジュン物語のロンタルがオランダにあること」「プリヨノのオランダ語著作がその原文のローマ字転写を含むこと」を紹介しながら、バリのキドゥン伝承者の身体知を通じてウキル/アドリ節のスリ・タンジュン詩歌を復活させる意義を伝えている。冒頭から子どもたちに分かりやすくコンセプトを伝えるこの手法は、初等教育で長年の経験を積んだアグス氏と彼の仲間たちの斬新なアイディアから生まれた。

イントロダクションの後は、10名の歌い手と子どもたちの演劇をミックスしたスリ・タンジュンの動画が展開する(写真7-6、7-7)。バリの感性が生んだこの作品の魅力については、下記のリンクから実際にご覧いただきたい。

(それぞれの歌い手が担当した歌詞の翻訳は下記リンクの動画中に記載)


7-5  アグス氏(左)、コマン氏(右手前)、カデック氏(右奥)



7-6   動画の一場面(天界を訪れるシダパクサ)



7-7  動画の一場面(王に謁見する主人公シダパクサ)

 

 


 本プロジェクト成果の社会還元を目的に、この動画はバリの人々を含めて今日最も広く親しまれているオンライン動画サイトのYouTubeで配信されている(以下リンク)。また、本プロジェクトに関する学術的意義については下記リンクのオンラインジャーナルの野澤暁子の論文で詳細に論じられている。

 

 [インドネシア語版] CERITA SRI TANJUNG YANG DI LANTUNKAN DENGAN PUPUH ADRI ( TEKS INDONESIA ) (youtube.com)


  [英語版] SRI TANJUNG DENGAN ALUNAN PUPUH ADRI ( TEKS ENGLISH ) (youtube.com)


[本プロジェクトに関する論文] Recalling Hindu-Javanese Voices in Bali: Anthropological Media Praxis between the Visible and the Invisible | The Indonesian Journal of Social Studies


結び

 

本ウェブサイトでは、アジア諸国に伝承される天女伝説の一つとして、中世ヒンドゥー・ジャワ時代のスリ・タンジュン物語を紹介した。「ものがたり」という古来より続く人間の文化活動には、常にメディアという記憶伝承の媒体が関わってきた。本研究ではその一例としてスリ・タンジュン物語を取り上げ、伝統的な貝葉写本の韻律詩、近代の印刷本による読み物、そして現代のデジタル空間での視聴覚情報化、という三つのメディア形態から文化記憶伝承のあり方を提示した。今日もメディア技術は日進月歩で進化を続けている。この展望から、本ウェブサイトが神話や説話の新たな発見をもたらし、より多様な表現と豊かな心を育むための一助となれば幸いである。

 

最後にこの場を借りて、本プロジェクトに協力してくださった全ての方々に深く感謝の意を捧げます。いつも私のお願いに寛容な心でご対応いただき、本当にありがとうございました。

 

野澤暁子

 

 

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